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2017/05/01 [Mon]

「月刊BigLife21」 2017年5月号に代表取締役社長 坂入と就労移行支援事業所カレントが掲載されました[ 2/3 ]


ビッグライフ社から発行されている『BigLife21』に弊社の代表取締役社長、坂入のインタビュー記事が掲載されました。弊社のグループ会社LPHが運営します就労移行支援事業所カレントの活動が取り上げられております。



その2
(以下本文転載)

障がい者雇用を取り巻く日本社会の実像
障がい者福祉サービス事業の経営はその性質上、国からの障害福祉サービス報酬に強く依存する傾向がある。事業所による不正受給など障がい者雇用におけるさまざまな問題点はそこに起因している場合が多い。だからこそ、自らマネタイズできる同事業所のモデルが成功することは社会的な意義も大きい。しかし、同氏が強調するのは、同事業所が決して利益第一主義ではない点だ。

実は、同氏は障がい者雇用に関する世の中の状況に少なからず憤りを感じているという。「確かに大手企業などで就労する障がい者は増えています。ただ、それは比較的障がいが軽い方の場合が多いんです。就労移行支援事業に関しても利益を優先している事業所は日額のサービス報酬を得るために週5日通所できる障がい者を優先する傾向があります。けれども、実際には週に1〜2日しか外出できない方がたくさんいます。そうした方たちが1日でも多く働けるように支援し、雇用を創出することが我々の使命だと思っています。今の日本のシステムでは就労移行支援を受けられない、あるいは、雇用のチャンスに恵まれない、そうした方々の居場所・再出発の場所として弊社が昨日できればと考えています」。

養護学校とブラック企業 異色のキャリアが原点に
ところで、同氏はなぜ、障がい者支援にそこまで情熱を注ぐのか。その疑問は同氏の歩んできたキャリアを汁と得心がいく。

「大学卒業後、私は当時の養護学校、今でいう特別支援学校で講師として働いていました。そこには重度の障がいを持った子供たちが多く通っていて、親御さんも生徒たちもそれぞれ複雑な思いを抱えていました。それこそ障がい者を生んだことを後悔し、無理心中を考えたことがあると話す親御さんにもたくさんお会いしました。生徒たちも親に申し訳ないと学校で泣き、生まれたこと呪っている、そうした方たちと触れ合う中で、私は血の涙を流す思いに駆られました」

障がいが重い子どもたちは養護学校を卒業しても働くことができず、家に閉じこもるケースが多いという。その現実に直面する度に同氏は「本当に悲しくて、本当に悔しかった」と振り返る。

「同じ人間として絶対に彼らを何とかしなくちゃいけない、そう思って頑張っていましたが、学校という閉鎖された組織の中では思うように自分の情熱を形にすることができませんでした。私自身の未熟さもあり、結果的には養護学校を辞めることになりましたが、いつか再び障がい者を支援する仕事がしたい、そんな思いをずっと抱き続けてきました」

養護学校を退職したのち、同氏は大手人材派遣会社に就職することとなる。実は、その企業は世間的にブラック企業として知られる会社であった。同氏はあえてブラック企業に就職したのである。「学校をリタイアしたことへの負い目もあり、競争が激しい能力主義の環境に身を置いて、自分がどこまでやれるのかを試してみたかったんです。朝6時から夜中まで働き詰めの毎日でしたが、誰よりも努力しました。その結果、1年後には部長に昇進していました」。

最終的にはその企業自体が廃業へと追い込まれたため、同氏はまた別のブラック企業として知られる同業他社に今度は役員として入社する。「2つのブラック企業を経験し、ブラック企業のどこに問題があるのかを実際に知ることができました。また、学校であってもブラック企業であっても、怠ける人は怠けるということもわかりました。だからこそ、本当に働きたいと思っている障がい者のために、その機会を創出したい、そういう思いが一層強くなりました」。

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